初姿 (1936) [电影] 豆瓣
导演:
坂根田鹤子
演员:
月田一郎
/
大仓千代子
…
日本第一位女性导演拍摄的唯一一部剧情长片
第一映画社製作、松竹配給
小杉天外原作の『はつ姿』
幼なじみのふたりが、愛し合うも、結婚が叶わずそれぞれ別の道を進むという悲恋の物語である。『初姿』は結局、坂根が監督した唯一の長編劇映画となった。興行的にも批評的にも大失敗とはいえない作品であるにもかかわらず、女性映画監督である坂根には、そもそも作品を正当に評価される素地さえ与えられていなかったといえる。「女らしい感性の細かさを期待してみたが、それはどこにも見あたらない」といった当時の批評家の言葉には、監督としての坂根を評価する際、いかに強いジェンダーバイアスが作用していたかが浮き彫りにされている。
『初姿』はそもそも意欲的に取り組んだ作品ではなかった。というのも、坂根が本来撮りたかった映画は「女学生もの」だったからである。「私は吉屋信子さんの様なものが好きで女の世界を通じての社会観で撮りたいと思っています」と語った坂根にとって、「女学生もの」とは、吉屋信子が描くような物語世界であったのだろう。少女小説のパイオニアであった吉屋信子は女学生のバイブルともいわれた『花物語』や『屋根裏の二処女』などによって、ときにエロティックな欲望をも含みこんだ女性同士の親密な絆を描いた作家である。だが、美文調でセンチメンタルな吉屋の作品には一貫して、女同士の私的なつながりが社会的な連帯へと拡張されることへの希望があることを忘れてはなるまい。「女の世界を通じての社会観」で映画を撮りたいと語った坂根は、吉屋作品の根底にある社会変革への希求を、自らも映画で実現しようとしていたのではないだろうか。また、『初姿』公開後の坂根の発言からは、「女性監督」としての決意が読み取れる。「男によってのみ描かれ、男によってのみ支配された映画界に、今度は女性の立場から別な新しいセンスを注入する」必要性を説き、「女の世界から見た真実な女の姿を、自分の人生観と共に赤裸々にくまなく描きたいと」と語る坂根は、女のシナリオライターやカメラマンといったスタッフと共に「(女性映画監督の)レオンティン・ザガンならぬ私自身が、男では描けないそれこそ女万丈の映画を作りたいと思う」と力強く述べている。
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第一映画社製作、松竹配給
小杉天外原作の『はつ姿』
幼なじみのふたりが、愛し合うも、結婚が叶わずそれぞれ別の道を進むという悲恋の物語である。『初姿』は結局、坂根が監督した唯一の長編劇映画となった。興行的にも批評的にも大失敗とはいえない作品であるにもかかわらず、女性映画監督である坂根には、そもそも作品を正当に評価される素地さえ与えられていなかったといえる。「女らしい感性の細かさを期待してみたが、それはどこにも見あたらない」といった当時の批評家の言葉には、監督としての坂根を評価する際、いかに強いジェンダーバイアスが作用していたかが浮き彫りにされている。
『初姿』はそもそも意欲的に取り組んだ作品ではなかった。というのも、坂根が本来撮りたかった映画は「女学生もの」だったからである。「私は吉屋信子さんの様なものが好きで女の世界を通じての社会観で撮りたいと思っています」と語った坂根にとって、「女学生もの」とは、吉屋信子が描くような物語世界であったのだろう。少女小説のパイオニアであった吉屋信子は女学生のバイブルともいわれた『花物語』や『屋根裏の二処女』などによって、ときにエロティックな欲望をも含みこんだ女性同士の親密な絆を描いた作家である。だが、美文調でセンチメンタルな吉屋の作品には一貫して、女同士の私的なつながりが社会的な連帯へと拡張されることへの希望があることを忘れてはなるまい。「女の世界を通じての社会観」で映画を撮りたいと語った坂根は、吉屋作品の根底にある社会変革への希求を、自らも映画で実現しようとしていたのではないだろうか。また、『初姿』公開後の坂根の発言からは、「女性監督」としての決意が読み取れる。「男によってのみ描かれ、男によってのみ支配された映画界に、今度は女性の立場から別な新しいセンスを注入する」必要性を説き、「女の世界から見た真実な女の姿を、自分の人生観と共に赤裸々にくまなく描きたいと」と語る坂根は、女のシナリオライターやカメラマンといったスタッフと共に「(女性映画監督の)レオンティン・ザガンならぬ私自身が、男では描けないそれこそ女万丈の映画を作りたいと思う」と力強く述べている。
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